生命輪廻の陽化運動(1)   

 先にお話しましたように、万物万象の陽化運動を陽の比率が上がっていく現象と捕らえるのか、それとも陰の比率が下がっていく現象と捕らえるのか、その結果はどちらも同じなのですが、陽には明確な形がありませんので本書では認識の都合上、陰の比率が下がっていくことを陽化としています。例えば、固形の芳香剤が陽化し、溶解して香りの分子へと昇華していくのも芳香剤の消失を目で見て、陽化の終了を確認できるからです。

 人間の陽化を具体的に考えてみると、肉体の陽化と、心の陽化の両方が存在しています。肉体の陽化とは細胞体(陰)と生体磁場(陽)の陽化推移であり、心の陽化とは磁場位相(陰)とその生命記憶(陽)の陽化推移のこととなります。これらはそれぞれ図に示すような生命輪廻図に比例した陽化運動を行なっています。一般に、肉体(陰)と心(陽)の関係といえば、肉体の象徴である生体磁場(陰)と、心の象徴である生命記憶(陽)
の関係を代表的に説明しているのに過ぎません。両者も互いに相対関係にあって、生体磁場の馬力が落ちれば、その分心の馬力が高じていきます。従って、この陽化推移も生命輪廻図で説明がつくことになります。

 

生命輪廻図を見て分かるように、陰の比率が9-8-7-6-5-4-3-2-1-(0)と減滅していくのに対して、陽の比率は1-2-3-4-5-6-7-8-9-(10)と増大していきます。回帰原点とは陽の10段階目を示すと同時に、陰の0段階目を意味しています。両者の比率は常に一定で、片方が7割ならば、もう片方は3割となります。本書では、起動原点(0度)と回帰原点(180度)の二種を、輪廻を分ける等分点と定義し、その二つの行程の中で陰陽の比率が等しくなる真ん中の(5)点を“央分点“と呼んで、表の行程の央分点(90度)と、裏の行程の央分点(270度)の二種を想定しています。

 

 

 

これらの区節点は一年の温度輪廻を二等分する冬至点(0度)と夏至点(180度)、そして冬~夏を分ける春分点(90度)と、夏~秋を分ける秋分点(270度)と同じ意味になり、生命輪廻を解析する為の重要な基点となります。ちなみに温度の陰陽は地上に於いては寒(陰)と暖(陽)であり、それらが極まる点が二つの等分点となり、また五分五分になるのが二つの央分点となります。温度輪廻の実相行程(陽化行程)とは寒さが極まる冬至点から始まり、徐々に陽化(暖化)が進んで暖が極まる夏至点で終了します。その実相行程の央分点は春分点にあり、北半球では12月から3月までを登りの生道行程、そして3月から6月までが下りの退道行程となります。どちらが楽チンな行程かは、言うまでもありません。

 

 夏至点から冬至点に至る半年の期間が温度輪廻の虚相行程(折り返し行程)です。地上は光の散乱(輻射)の関係で温度余波が残留し、温度のピークは約一ヵ月半ほどずれ込みますが、いずれにしても夏至点を過ぎると陽化が極まり、人の心も陽化して仕事に集中できずにバカンスを求めます。自己を拘束するあらゆる圧力から開放されて“心が宙に浮く”状態となります。つまり肉体の拘束力や日常の圧迫感から逃れて精神を解き放つのであり、それは死んだ直後の状態や睡眠に突入した状態と基本的に一緒なのです。この注意力が散漫で無防備な浮かれた状態を“陽化ボケ”と呼びます。
 このような陽化ボケを脱するのは、秋風が吹いて涼しい季節が到来する秋分点を過ぎてからになります。虚相行程の後半の行程に入ってはじめて、人は自己を客観的に見直し、一年の経験を振り返り、また未来のことを考えはじめます。精神が高揚して人生の意味や価値を模索し、中には虚無的な衝動に駆られる人もいれば、物思いに沈み憔悴する人もいるかと思います。その状態は死後の霊が、生前の自己の一生を振り返って充足感や不満感や未練や諦念を感じることと全く同じなのです。
 虚相行程の後半期は、心が体から分離した状態であり、小説家や哲学者には最も良い季節となります。しかし、それも冬至点までの話であり、そこを過ぎれば再び実相行程の地獄が待ち受けており、精神は地の底に幽門されて先の見えない無明の状態に突入します。強烈な圧迫感と何も考えられない無が支配する状態となった人間は、いつの間にか心身離脱状態が解消されて心身一致状態に変貌しています。これは母親のお腹の中から誕生した直後の赤ちゃんの状態に他なりません。その赤ちゃんが少しづつ陽化して、心を発達させてくる道程が陽化行程なのです。二月を過ぎた頃から、やっと一条の光が差し込んできて、先に希望や夢が持てるようになり、人は勤勉に働き始めます。結局、人間が脇目も振らずに仕事に打ち込めるのは冬至点から夏至点までの間であり、夏至点を過ぎると精神が高揚し過ぎて、様々考える割には肉体を酷使して発汗することを嫌います。一年の温度輪廻はそうした人間の生命輪廻を象徴しています。

 

次回へ続く

 


オリオン牧場の似非科学の実態(2) 位相と大脳の関係

<位相と大脳の関係>

 心(ヌクヒブイ動帯)と地上の頭部魂オーブ球との関わりを説明しましたが、今度は空の上の「個人位相(意識当体)」と地上の「大脳アンテナ」とを結ぶ関わりの話です。心と切断されてしまうと、人間は立っておれず、自己を表現する事が難しい所謂寝た切りの植物状態を呈してしまいます(仮死状態)。一方、心は接続されていても位相との接続の一部が切れた場合の話ですが、生命コード(ズザネ管)の切断は即死(自律神経電流の停止)、タボ線の切断は身体随意運動の停止(内臓運動は停止しない)、また位相と分脳間との接続不良の場合は、記憶喪失症、ボケ症状、認知症、痴呆症を呈します。つまり自分がどこの誰なのか分からないと言う症状を呈する訳ですが、心が接続されている場合は、立っては歩くし、暴力は振るうは、おまけに言葉を喋るので、尚更扱いが難しい事態となります。オーブ球と心の接続不良は主に頭部に対する激しい衝撃などで発生しますが、大脳と位相の接続不良は主に大脳の全体電位の下降、左右の分脳電位の出力の問題(六道劣化)、魂電位の下降、位相電位の下降、脳アミロイド蛋白の変成、霊的な憑依作用、脳溢血や脳癌や脳腫瘍や脳ウイルス繁殖などに拠る弊害等が原因として上げられます。これは地球の医学知識では無く、当方の医者である「人間王国医療団」の医学知識に基づく見解です。

 位相と最も深く関わっているのが地上の大脳アンテナであり、その中でも主に分脳(左脳と右脳)との関わりが一番密接です。左脳は位相へアクセスする役割であり、地上の様々な事象を送り届けます。その地上の問題を受け取った位相がヌクヒブイを使って計算しその答えを導き出します。別に左脳が物を思索して考えている訳では無く、「位相-ヌクヒブイ・コネクション」とでも表現しましょうか、この空の上で行われる両者のやり取りそのものが思索なのであり、それを大脳に送り返しているだけの話に過ぎません。また右脳は主にレセプトする役割であり、位相が各種の記憶を束ねて想起運動する様子を右脳がキャッチしているだけの話なのです。そもそも大脳とは基本的に物を記憶する器官でも無いし、物を考えて判断を下す器官でも無く、空の上にいる「我(われ)」と、地上出張所の「仮我(かりわれ)」を結び付ける為の道具であり、送受信アンテナという役割なのです。ヌクヒブイとオーブ球の関係も、知的な関わりは一切無く、生物体の運動のみに関わっています。つまり知的な事柄に関しては磁気系(意識系=位相系)が関係し、体の運動に関しては力学系(心系)が関係している訳です。

 左脳と右脳には「ニューロン・ループ単位=我々はN単位と称している」が存在し、脳細胞同士が側鎖電線を互いに伸ばしてループ状の電流細管を形成しています。一般的に誕生したばかりの赤ちゃんにはこのループN単位が800本ずつ左脳と右脳に備わっていますが、年齢に伴った知能の発達と共にこのN単位が増えて来るのが普通です。小学生の高学年では1000本〜1200本が普通であり、また高校生の終了時では1500本〜1600本というのが標準レベルの発育になります。60才までに2200本〜2600本というのが健全な発達レベルなのですが、この育成本数が低いと脳パワー(脳の体力=アンテナ出力)に劣り、明らかに頭の回転が鈍く理解力に劣ると判断されてしまいます。大人に成っても小学生レベルのN単位しか無い人を時折見かけますが(幼少時から勉強嫌いで物を考えない方に多い)、これは六道劣化症と呼ばれる宇宙共通の病状であり、「位相―ヌクヒブイconnection」の同会運動が下六道界のみに限定されて、年齢を経れば経る程子供に戻って、最終的には赤ちゃんや胎児にまで戻ってしまう生命の病です。劣化病患者はそこら中に溢れており、また健全な発達を見せて来た方でも、放射線などの影響により脳電位そのものが下降して認知症を発症させている人もいます。前者の認知症は治す事は出来ませんが、後者の認知症ならば我々の医学では簡単に治せます。

 

 問題は、こうした医学知識が地球の医学にはまるで無いという事であり、余りに低劣な医学レベルなので我々は驚いている次第です。そもそも体のホルモンって88種類も在るんですよ、なぜ発見出来ないのでしょう。胃腺や腸線から放出される二種類の粘膜調整ホルモンが在りますが、それが詰まって分泌が滞ると胃壁や腸壁に潰瘍やポリープが一杯発生して来ます。胃壁に強烈なパンチを喰らわせた結果、ホルモン詰まりが解消され、たった三日間で全ての潰瘍やポリープが消え失せたという症例は結構あるのです。胃腸の外に付着しているグリンピース大のホルモン分泌器官にどうして気が付かないのでしょうか。地球の医学者達は一体身体の何処を見ているのでしょう。自称「脳科学者」という連中がTVに出ていますが、彼等は科学者ではありませんね。芸能人なんだと思って私も笑って見ていますが、時折彼等を見ていると世を儚んで寒気を感じるのです。それを豚語で表現すれば「あ〜、ブヒン」でしょうか。

 

 


流転(運動)の段階推移(2)  

 これらの運動はいずれも切れ目の無い連続的な運動であり、常に一定方向へ流れていき決して逆流することはありません。また一サイクル単位の終了を告げるか、もしくは次の輪廻の起動原点(0点)となり得る回帰原点(10点)が必ず存在し、屈折や反射して方角を変化させる場合は、これらの回帰原点を境にして折れ曲がります。また、一サイクル単位の中には央分点(5点)が存在し、ベクトルの向きが90度変化するか、もしくはその強弱を変化させています。
これらの運動は原則的に三角形(二等辺三角形)を呈しており、また輪廻運動はこれらの三角形が二つ組み合わさった四角形を呈してして、これらの形状は直進力線が描く基本形です。
 ここで輪廻図であるC図について具体的な説明をしてみたいと思います。この図は生命輪廻を一元的に捕らえたもので、陰の流れを掲載していません。陽の流れのみを説明した一元図であり完成した生命輪廻図ではありません。

 

 

 例えば人間生命の零状態とは母親のお腹の中で眠る胎児(0~1)であり、胎児期は実相行程(陰陽混合)ではなく、心の陽化行程(成長行程)には当たりません。胎児が誕生して実体を具現し、心を宿した瞬間が1点(出発点)となり全ての生命はそこから始まります。乳児期(1~2)を経過した生命は幼年期(2~3)-少年期(3~4)-思春期(4~5)を経て、やっと大人として認められる央分点の青年期(5~6)に至ります。そしてここまでが登りの成長行程です。その後、壮年期(6~7)-熟年期(7~8)-初老期(8~9)-老年期(9~10)という下りの退道行程を歩んだ生命は、ついに回帰原点(10点)に到達して死を迎えることとなります。九段階に渡る実相行程はここで終了し、肉体を失って霊体(意識体)となった人間生命には、死の直後に重要な分岐点が訪れて、道が大きく分かれます。陰陽分離した生命(心)はその陽だけが次の循環行程へと進んでいきます。

 

 仏法では、三途の川を渡り、死んだ直後の生命状態を霊身期(れいじんき)と呼び、法身期(ほっじんき)、応身期(おうじんき)、報身期(ほうじんき)の三段階が存在すると説いています。その分岐点の存在する最初の関門が“法身期”であり、ここで天国(上界)行きと、地獄(地球のこと)行きの両行程に分かれます。登りの生命は上法身期(10~11)に進んで、更に応身期(11~12)から報身期(12~13)と向かって、そこから太陽磁場圏へと転写されて成仏します。一方、下りの生命は下法身期(10)にそのまま止まって、そこに定住したまま地球磁場圏から決して離れようとはしなくなります。下りの生命とは生前の自己に執着して、人間を卒業する意思が無い不成仏霊のことです。彼らは人間と同じ地球磁場圏に住んでおり、人間に憑依して肉体を操作できる物理能力を持っていますので大変危険な存在と言えます。
 ちなみに、人間が眠っている時には必ずこの法身期の領域に心が同会しており、睡眠状態とは言わば仮死状態の事です。磁場位相に存在する磁気意識体である我々は、一日一回死ななければ収縮エネルギーが得られないのです。充分な睡眠を取れば、思いっきり収縮して肉体の直ぐ近くまで目線を落とすことが可能であり、明晰な意識を囲う集中力を得ることができます。また泥酔状態になるまでお酒を飲んで、ノンレム睡眠に突入すると、法身期を通り越して応身期の領域に入ることになり、生きたまま成仏行程へ進入してしまう場合もあります。心がこの領域に入ると記憶が転写されてしまうので、眠るたびに馬鹿になっていくという恐ろしい事となってしまいます。

 

 ところで、生命も含めて万物の運動にはリズムがあって、必ず零基点を経由して元に戻るバイオリズム周期が存在しますが、物体の連鎖には区節点は存在しません。つまり、回帰原点に相当する10点が無いために、「九区点八段階」の連鎖形式となり、こちらの方は十干バイオリズムではなく、“九星バイオリズム”と呼ばれており、その八段階行程は“八正道”と呼ばれます。

 

次回へ続く